現在40歳のグティ(中央)。フベニールAでの監督デビュー戦では、試合を裁いた審判から、その態度について苦言を呈されたものだが、1年目でチームを頂点に押し上げた手腕はさすがである。 (C) Getty Images

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 トップチームがチャンピオンズリーグとリーガ・エスパニョーラの優勝に王手をかけているレアル・マドリーだが、下のカテゴリーでは、すでにタイトル獲得を決めたチームが出てきている。
 
 フベニール(15〜19歳)世代のトップチームである「フベニールA(17〜19歳)」もそのひとつだ。
 
 彼らは、全国に散らばる114チームを7グループに分けたトップリーグ「ディビシオン・デ・オノール」のグループ5を制した。
 
 その後、各グループの王者に最多勝点を稼いだ2位の1チームを含めた8チームで争われるトーナメント戦「コパ・デ・カンペオネス・デ・ディビシオン・デ・オノール・フベニール」で優勝し、今シーズンの年間王者に輝いた。
 
 このフベニールA、リーグ優勝を決めたヘタフェ戦では、これぞマドリーという勝ち方を見せた。1-1で後半もアディショナルタイムに突入し、迎えた96分、ショートコーナーからゴール前に上げたクロスを、攻め上がったCBが頭で押し込んだのである。
 
 コパ・デ・カンペオネスでは、準々決勝でアトレティコ・マドリー、準決勝でビジャレアルを撃破。マラガとの決勝戦では、31分に退場者を出して数的不利を負うも互角の内容で渡り合って延長戦に持ち込み、116分に直接FKで決めた1ゴールを守り切った。
 
「信じられない。選手たちのタレントと結束の強さを誇りに思う。1時間半もひとり少ない状況で戦ったが、チームはそれを感じさせなかった」
 
 逆境に追い込まれるほどに底力を見せる、トップチームさながらの劇的な勝利を手にした後、そう言って喜びを口にしたのは、今シーズンからフベニールAを率いているグティ監督だ。
 
 2012年夏に現役を引退し、その後はテレビやラジオでコメンテーターを務めていた彼が指導者への転身を決意した際、「グティが監督!?」と驚いた人も多かったのではないだろうか。
 
 選手時代の彼は、好不調の波が大きく、乗っている時はイマジネーション溢れるプレーで観客を魅了するが、ダメな日は苛立ちを募らせた末にラフプレーや暴言で退場してしまうことも少なくなかった。
 
 守備意識が希薄で献身性に欠け、監督の言う通りに動かないため、「才能はラウールより上」と言われ続けながら、15シーズン所属したトップチームで定位置を確保した時期はほとんどなかった。
 
 そんな気まぐれな天才肌が、選手たちに戦術を説き、尻を叩いてハードワークを要求できるのか……。
 
 アレビンA(11〜12歳)の第2監督として現場に立ち始めた当初は、並行してテレビのコメンテーターを続けていたこともあり、果たしてどこまで本気で監督業をやるつもりなのかも疑わしく思われていた。
 そんな疑念が向けられていた「監督グティ」のイメージが一変したのは、昨夏にクラブが打ち出した人事方針がきっかけだった。
 
 ジダン率いるトップチームの成功を受け、下のカテゴリーでもクラブOBの指導者を積極起用する方針を採ることとなり、06年1月にフベニールB(16〜18歳)に昇格したばかりのグティが、フベニールAの監督に大抜擢されたのである。
 
 さらには、受け持ったチームは幸運にも、近年で最も豊富なタレントに恵まれた世代だった。
 
「フットボールとは、足元でパスを繋ぐもの。これだけ豊富なタレントが揃っているチームでは、常に上質のプレーを試みなければならない」
 
 現役時代と変わらぬこだわりをプレースタイルに打ち出した指揮官の下、チームは選手個々の才能を前面に押し出したフットボールで3シーズンぶりのリーグ優勝と全国制覇に加え、UEFAユースリーグでも2年連続の4強入りを果たした。
 
 今シーズンの成功により、監督グティの評価が急上昇したことは言うまでもない。しかも、同じく昨夏にレアル・マドリー・カスティージャ(Bチーム)の監督に就任したサンティアゴ・ソラーリが2部への昇格プレーオフ進出を逃したことで、早くもグティの起用が期待され始めている。
 
 現状、トップチームはジダンの続投が既定路線となっているが、来シーズン、もしチームが不調に陥るようであれば、シーズン中の解任という事態もあり得ない話ではない。そしてその際、もしグティがカスティージャの監督を務めていたら……。
 
 かつてサンチャゴ・ベルナベウのピッチで観衆を魅了してきた金髪の背番号14は、指導者として、ジダンの後に続くことができるのだろうか。
 
文:工藤 拓
 
【著者プロフィール】
くどう・たく/1980年、東京都生まれ。桐光学園高、早稲田大学文学部卒。三浦知良に憧れて幼稚園からボールを蹴り始め、テレビで欧州サッカー観戦三昧の日々を送った大学時代からフットボールライターを志す。その後EURO2004、ドイツ・ワールドカップの現地観戦を経て、2006年よりバルセロナへ移住。現在は様々な媒体で執筆している。