開幕間近!U-20W杯の歴代MVPは今どうしているのか?

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20日に開幕を迎えるU-20ワールドカップ。日本代表は久保建英が招集されていることで大きな話題になっている。

しかしその他にもこの大会には多くの才能が参加する。その中には将来のサッカー界を担うような存在もいるはずだ。

これまでもU-20W杯、そして旧名のワールドユースには多くの選手が招集され、そして活躍を見せて世界へと羽ばたいていった。

それでは、過去の大会でMVPを獲得した選手はいまどうしているのか?どんなキャリアを送ったのか?一気にまとめてみたぞ。

2015年大会:アダマ・トラオレ(マリ)

大会当時所属:リール(フランス)

現所属:リオ・アヴェ(ポルトガル)※モナコからのローン

この大会で驚きの3位に入ったマリ代表で中心となったのが「Nextセイドゥ・ケイタ」ことアダマ・トラオレ。

高いテクニックと身体能力、そして試合をコントロールする能力に優れた彼は、この夏にリールからあのモナコへと1400万ユーロで移籍している。

しかし彼は大きな怪我を負ってしまったことから2015-16シーズンの大半を棒に振ってしまい、今季はポルトガルのリオ・アヴェにローン。そこでも怪我に苦しめられている。

2013年大会:ポール・ポグバ(フランス)

当時所属:ユヴェントス(イタリア)

現所属:マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)

言わずと知れた「世界最高額の男」。この大会の1年前にマンチェスター・ユナイテッドを離れてユヴェントスに移籍し、既にセリエAでレギュラーとして活躍していた。

その圧倒的なポテンシャルを遺憾なく発揮し、フランス代表はグループステージで苦戦しながらも決勝トーナメントで快進撃。

トルコ、ウズベキスタン、ガーナを破り、決勝ではウルグアイをPK戦の末に退けた。フランスはこれが大会初優勝であり、ポグバも大きく名を上げた。

2011年大会:エンヒキ(ブラジル)

当時所属:サンパウロ(ブラジル)

現所属:コリチーバ(ブラジル)

今年25〜26歳になる世代であり、順調に行けばバリバリ活躍していることが期待されるわけだが、エンヒキはやや伸び悩んでいる。

U-20世代では圧倒的な得点力を発揮したアタッカーで、この時期はサンパウロに所属していた。この大会ではMVPと得点王をダブル受賞している。

しかし2012年にグラナダへ移籍した際にスペインで成功できず、その後はブラジル国内でプレー。今季はグレミオからのローンでコリチーバに所属している。

2009年大会:ドミニク・アディーヤー(ガーナ)

当時所属:フレドリクスタ(ノルウェー)

現所属:ナコーン・ラーチャシーマ(タイ)

当時ノルウェーリーグのフレドリクスタに所属していたという異色のキャリアを持つストライカー。この大会では8ゴールを決めて得点王となり、MVPとのダブル受賞となった。

その活躍から世界屈指の若手として評価を受けるようになり、2010年の1月にACミランへと加入することになった。

ところが、結局サン・シーロでは一試合もプレーすることなくローン生活を送り、2012年に退団することに。

その後はウクライナのアルセナル・キエフ、カザフスタンのアティラウを経て、2015年からはタイ1部リーグの中堅クラブであるナコーン・ラーチャシーマでプレーしている。

2007年大会:セルヒオ・アグエロ(アルゼンチン)

当時所属:アトレティコ・マドリー(スペイン)

現所属:マンチェスター・シティ(イングランド)

この時期の期待に応えることが出来た選手の1人と言えるであろうアグエロ。6ゴールを決めてアルゼンチンを優勝に導き、得点王とMVPに輝いた。

2006-07シーズンはアトレティコ・マドリー加入初年度であまり大きな活躍は見せていなかったのだが、大会後からはエースとして得点を量産。世界屈指のストライカーとして評価を固めた。

2007-08シーズンからは10シーズン連続で2桁得点を決めており、その安定感たるや半端ではない。

2005年大会:リオネル・メッシ(アルゼンチン)

当時所属:バルセロナ(スペイン)

現所属:バルセロナ(スペイン)

▼そして て゛んせつか゛ はし゛まった!

2003年大会:イスマイール・マタル(UAE)

当時所属:アル・ワフダ(UAE)

現所属:アル・ワフダ(UAE)

世界的には決して成功したとは言えないかも知れないが、UAE国内ではもはや生ける伝説と言える存在となったイスマイール・マタル。

現在でも代表の「10番」はオーマル・アブドゥルラフマンではなく彼であり、もはやUAEの中山ゴンといっても過言ではない。

坂田大輔が得点王となり、大熊監督の名言「サンキュー坂田」を生み出した大会として知られる2003年。地元開催のUAEはベスト8進出を成し遂げる大健闘を見せ、その中心的存在がこのマタルであった。

2001年大会:ハビエル・サビオラ(アルゼンチン)

当時所属:リーベル・プレート(アルゼンチン)

現所属:引退(オルディノ アシスタントコーチ)

大会最高記録となる11ゴールを決めてMVPにも輝いた「コネホ」、永遠の童顔ハビエル・サビオラ。世界有数の若手選手として評価を高め、この大会後にバルセロナへと引き抜かれている。

ところが、そのバルセロナで彼はどうも高い評価を得られない状況に。2年目にはクラブも低迷し、サビオラもゴールを2桁決めながら批判されることになった。

モナコとセビージャへのローンを経て、なんとレアル・マドリーへの「禁断の移籍」を行うも、そこでもスーパーサブとしての起用に留まり、2009年にはベンフィカへ。

その後はマラガ、オリンピアコス、エラス・ヴェローナを経て古巣リーベルに復帰し、昨年現役を引退。現在はアンドラ1部のオルディノでアシスタントコーチを務めている。

1999年大会:セイドゥ・ケイタ(マリ)

当時所属:マルセイユ(フランス)

現所属:アル・ジャイシュ(カタール)

「黄金世代」の日本代表が準優勝という輝かしい成績を残した1999年大会でMVPとなったのが、セイドゥ・ケイタであった。2015年に『Next』と呼ばれたアダマ・トラオレが受賞しているのもなんだか面白い。

ナイジェリアで行われたこの大会で優勝したのはスペインで、得点王はパブロ・コウニャゴ(現アロンドラスCF-スペイン4部)とママドゥ・ディサ(KFCイゼヘム-ベルギー3部)と地味だった。

しかし、ロナウジーニョやロケ・サンタ・クルス、ラファエル・マルケス、チャビ・エルナンデス、ロビー・キーン、そしてもちろん高原直泰や小野伸二、稲本潤一など多くの「NEXTスター」がプレーした大会でもあった。

1997年大会:ニコラス・オリベラ(ウルグアイ)

当時所属:デフェンソール(ウルグアイ)

現所属:引退

ウルグアイ代表選手として2002年ワールドカップに出場したことで知られる小さなアタッカー、ニコラス・オリベラが1997年大会のMVPである。

この大会を優勝したのはアルゼンチンであるが、マルセロ・サラジェタなどを擁したウルグアイは2位と好成績を残した。

オリベラはこのあとバレンシアへと移籍し、セビージャやバジャドリー、コルドバ、アルバセテなどでプレー。それからはウルグアイやメキシコのクラブを転々としたが、今年古巣デフェンソールで現役を引退した。

1995年大会:カイオ(ブラジル)

当時所属:サンパウロ

現所属:引退

サンパウロの下部組織で育成されたストライカー。決勝トーナメント1回戦でブラジルは日本と戦っているが、その際には2ゴールを決めている。

評価を高めた彼は大会後、当時10代の選手としては最高額となる660万ポンドでインテルナシオナウへと移籍するのだが…結局あまり開花しなかった。

サントスやフラメンゴ、フルミネンセ、グレミオなど多くの名門を渡り歩いたが実績は残せず、ボタフォゴでプレーしたのを最後に30歳で引退。その後はスポーツキャスターとして活動中だ。

1993年大会:アドリアーノ(ブラジル)

当時所属:ニューシャテル・ザマックス(スイス)

現所属:引退

Jリーグでもプレーしたことがある選手なのだが、覚えているだろうか?2001年に浦和レッズに所属し、6ゴールを決めたアドリアーノである。

彼は1991年のU-17世界選手権でも得点王となっており、その2年後のワールドユースでもトップスコアラー+MVPの二冠を獲得したというすさまじい実績を持つ。

しかし、彼も決してプロ選手として才能が開花したとは言えなかった。国内の様々なクラブやポーランド、コロンビアを転々として2009年に引退している。